1953年7月27日、朝鮮動乱の休戦協定が成立した。この間に国内の医薬品産業は急速な立ち直りを見せていた。その年の10月、兄の泰一郎に代わり山口明が2代目社長に就任した。当時、31歳の若さであったが、このころのことを後年回想して次のように述べている。
「基本的には“わが道をゆく”という心境でしたが、当面の目標は、あくまで大手の製薬メーカーにおき、長所を積極的に学んで、一日も早く世間に通用するようなメーカーにならなければ、という気持ちでいっぱいでした。(中略)過去は振り向かず、将来だけを見つめていくことを経営方針としました。」